#9-2 / The Long Bad Night
それでまあ結局どうしたのかと言われたら、ロジャーにはそのまま捕まっておくようにと吐き捨てられたのである。で、二人そろって仲良くこの有様、ってお前。……いやいやいや。いやいやいやいや、なしだろ。
「てわけで、今からお前らをこの状態で放流すっからよぉ~~~! 溺れて死にたくなけりゃあ解いて這い上がって来いよ。お互い助かろうとして醜く争え。ヒャヒャハ、ぶほひっ」
「ねーねーねーねー、あのさーあのさーあのさー、ちょっと言ってもいい? なにもこんなに人いるところでしなくてもいいんじゃない? 普通、そういう事するのって夜間じゃないの? めっちゃ顔バレしてるんだけど、いいのキミ?」
「ごちゃごちゃうるせえ、夜はやる事があるから忙しいんだよ」
「ふーん、忙しいんだぁー。それ、どうしてぇー?」
お、この言い方はまさか……、
ロジャーはその『テレパス』の能力が働く時(本人はこの『テレパス』という表現を何だか安っぽくなるからと嫌っていたのだけど)に、いつも執拗なくらいに相手を罵り始める。これがまたイヤンな部分を集中的についてくるようなやり方なので「絶対に敵にはしたくねえな」と常々思うのだ。
緒川が固唾を飲みつつ先行きを見守っていると、話しかけられたその男は愉快なジョークでも聞かされたようにへらへらと笑っている。
――いつかこの逆撫でが行き過ぎて、足元掬われたりしなけりゃいいけどな。まあ、ロジャーの事だ。きっとそういう部分も先読みしては動いてはいるんだろうが……
けど……、いや、何なんだろう。この妙な気分。
別にこのお祭り騒ぎ男達自体はどうでもいい、どうとでもなる。何ていうか自分が不安なのはむしろ……、と、緒川はロジャーの横顔を見つめた。それから、ロジャーが今しがたガンガンに煽っているその男の方へと、視線を戻した。
彼は妙に痩せていて、髪も真っ黒だったし、このメンツの中ではひどく浮いて見えた。別に垢抜けていない、とか、ダサい、とかそういうわけではない。むしろ顔だけ見りゃあかっこいい部類なのだろうが、まあともかく見てくれだけ切り取るのなら話が通じそうな一般的な容姿というか。
「何だよ、お前。適当にお喋りして時間稼ぎでもするつもりか?」
「ひょっとして好きな女の子のストーキングするのに忙しいの~? 毎晩毎晩、顔に似合わず陰湿だねぇきみ」
なるほど。この一見爽やかそうな男にはそういう秘密があったのか。と、緒川は軽い落胆のようなものを感じずにはいられなくなったし、横で勝ち誇ったように笑うロジャーが心底恐ろしいと思った。何より怖かったのは、ロジャーの笑顔がいつもながら楽しそうに見えた部分だ。……やっぱり、何だろう。このもやもやとした感覚は。緒川は自分が今すべき事は何なのかを慎重に考えつつ、ロジャーの言葉を待った。
「……は?」
「僕が何も知らないとでも思ってるのかい、カタオカ君」
男は呆然とするあまりなのか、本来ならば「どうして俺の名前を!」となる筈の部分には反応を示さなかった。それよりもむしろ、一体俺の何を知っているんだ? というそちらの方が気になっているのか、咄嗟のリアクションは極めて薄かった。ロジャーは構う事なく、よいしょっと立ち上がるとその両手を何事もなかったかのように大きく広げた。縄があっさりと解けて、ロジャーの足元にまとまった状態で散らばったのが分かった。
「とう、プリンセス天功イリュージョン!……びっくりした!? どうどう、びっくりした!?」
「な、ななんなん・何だぁ!? テメエ何したんだおらこのっ」
「過去に女性がらみで色々あったからね、縄抜けの術は得意なのさっ! アハハ、驚いたでしょ? ま、普通できないもんね、こんな事~」
まあ大方想像は尽くんだが、いやいやそれよりも。緒川は何となく負けた気になって自分も立ち上がった。まあこの状態のままなので格好はつかないのだが。
突然の事態に、男達は驚愕と恐怖の両感情を混ぜたそんな気持ちでこちらを見つめていた。こちら、といったら間違いだ。正確にはロジャーの方しか見つめていない。
「て――てめえ、何者だ一体……」
その言葉を待ってました、と言わんばかりにロジャーがニンマリとほくそ笑んだ。
「……ロジャー。ロジャー=マクラクラン、またの名を関東で一番可愛い英国人です」
「自分で言ってて恥ずかしくならねえのかよ」
思わず何だこいつ、と口から出かかったのを抑え込み緒川はぐるぐる巻きにされた状態のままで戒めの解かれたロジャーの横顔を見つめた。
「そしてそんな可愛い僕と、こっちの野獣みたいな……えーと、ミスター暴力こと緒川くんが相手になろうじゃないか! 痛いぞー、怖いぞー、緒川くんの暴力は!!」
「お、お前、普段俺を一体どういう目で見てるんだ。というかコレ、外してくれないか?」
さりげなく懇願したその言葉をナチュラルにスルーし、ロジャーは軽やかに微笑んだ。狙いを定めるがごとく、先程の男へと向き直るとロジャーの視線が鋭く細められた気がした。
「さぁ、って。本題いきますか」
ちゃららららら~、とロジャーはマジックでお馴染みのあのテーマソングを口ずさみながら袖からスッと何かを取り出した。手の平にすっぽりと納まるくらいのサイズをした、比較的薄い形のスマートフォン。言うまでもなく最新モデルのそれを惜しみなく掲げながら、彼の攻撃が始まった。
「僕は多才でね。その才能のうちの一つが『写真撮影』なんだけど」
またの名を盗撮、とも言うのだが。……盗撮は犯罪です。ロジャーは悪びれる気配もなく、もはや相手を虫けら同然として見ているような目つきを向けていた。男共は言葉を失い、委縮しているのが分かった。全員の視線が、すっかりロジャーの動向に釘付けになっている。
「その証拠となるであろう、決定的な――そう、君の恥ずかしい写真の数々がここに全て収められているのだよ。タッチ一つでアラ不思議、全てが僕の自宅に! 全て!! 隠す事もなくまるっと流れてしまうだろう、ね~ッ」
「はあ? 何だそれ。大体お前と俺は今日初めて会ったんだぞ、普通にそんな真似できるかってんだ」
「できちゃうんだなー、それが。試しに一枚見てみるかい?……じゃ、軽めのジャブから入っておとといの夜。君の一連の行動を撮った写真でも見てみよっか? んー、君が二十三時頃、三丁目のコンビニへ向かった時の画像から――」
ロジャーがそう口にした瞬間、それまではまだ半信半疑ゆえか余裕のあった男の顔が一変した。この瞬間、いつも緒川は頭が冷えるというか、相手の方が可哀想……は、ちょっと語弊がある。うーん、と少し考えてから分かった。そう、哀れ。こうだな、この方がしっくりとくる――、うん、哀れに見えてきてしまうのだ。己の行動を顧みたり、反省する時もある程だった。自分にもまだ良心や理性というものが残されているのだとしんみりと思えた。
それがいい事なのか悪い事なのかは、まあよく分からないが。男が何やら喚いてロジャーを止めさせると、周囲は不思議そうにそんな彼の豹変ぶりを眺めていた。受け入れがたい光景を見つめるその視線は、何とも言えない淀んだ空気に満ちていた。
「……僕がカマかけたわけじゃない事は分かっただろう? ちなみに今僕の家にいるのは我が弟のクリス君、十歳だ」
それがどうした、と思いつつ、ふと緒川は何気に彼から初めて家族の話を聞かされた事に気付く。そういえば自分はロジャーの家の事かあまりよく知らないな、と今更のような思いに囚われながら、先程から自分が抱えている妙な違和感と重なるのにも気付かされて何とも言えない心地になる。……けど、具体的に何がもやもやするのか依然正体は掴めずに、やはりスッキリとはできなかった。
「で、弟はその写真を受け取り次第すぐにでも君の親御さんをつきとめて報告するだろうねぇ。……まあ君がやる事も結構悪質みたいだから、場合によっちゃあもっとデカい話にこじらせてもいいんだけども? カタオカ君、ご両親がとぉっても厳しいみたいだね。……なるほどなるほど、お父様は弁護士か。民事専門の――、ほおほお、そりゃあ確かに身内が不祥事なんか起こしたら溜まったもんじゃないなーっ!」
「ど、どうして……おまえ、一体……」
まるで異国の言葉でも耳にしたかのような反応だった。途方に暮れて笑うしかない、といった具合に口元を引きつらせる男に代わり、先程の『お祭り男』が前に出てきた。とりあえずロジャーを黙らせようと動いたのだろうことはすぐに分かったので、緒川も身を乗り出したがいかんせんこの拘束状態にある。前蹴りで押しのけようにも力がうまく入る自信がない――と、ロジャーは焦る様子もなく、しかし表情からは笑顔が消えていた。
お祭り男の大柄な身体が、まるで糸の切れた人形のようにその場に頽れた。本当にどさりと、突然のように前のめりに倒れ込んだ。後頭部からだったとしたら命の危険でもあるんじゃないか、というくらいの派手な倒れ方だ。ロジャーは腕を組んだまま男の背中を見下ろしつつ言った。
「あ~、安心して安心して。ちょっと眠ってもらっただけだし死んでないよ~」
「な……」
声を上げたのはむしろ、連中よりも緒川の方が先だった。
「なっ・何だそれ!? 初めて見たぞ、その技……っ!」
「――僕も今初めて使ったからね。ま、催眠術の応用編みたいなものだよ。眠る、ってのはつまり脳味噌の緊張状態を取るっていう事だ。つまり、ちょっと脳を操作する事さえ出来れば眠る事が出来るっていう話なわけで……あー、じきに解けるよ。ホラ、寝息が聞こえてるでしょ? うん」
オイオイまじやべえなこいつ、いかれてるぜ……と緒川は畏怖するような眼差しを向けてしまった……。そんな緒川をうっちゃって、ロジャーは険しい顔つきのまま呆然とする連中につかつかと近づいていく。
「それよりも、だ。ちょ~っと落とし前をつけようか、君達! いいかい、コレは今後社会に出ていくための教育として大事な話だぞーっ!」
「……え?」
何をする気かと思えばロジャーは唖然呆然と立ちすくむ彼らに向かって手を差し出していた。――あ、握手だろうか? 仲直りの?……な、わけない。かっこわらいとじかっこ。
「はい、交通費一人二百円、僕と緒川くんの二人分だから四百円徴収ね! ここまで来るのもタダじゃな~いの、みんなねえ、貴重な時間を割いてるの! 分かる!? 分ったらホラ、出す出す!」
思わず「せこっ!」と声に出してずっこけそうになったが、何より一人を除いて四人からちゃっかり巻き上げていく辺り、必要な金額より高くなってんじゃんと苦笑が零れたのだった。何だかもう関わり合いになりたくない一心だろうか、ぴゃーっと逃げるようにして去っていく彼らを視線で追いながら、緒川は解いてもらったロープを回収しつつロジャーを改まったよう見つめた。
「これっぽっちしか稼げないとは、さすが学生相手。いつものチンピラ狩りより効率悪いなあー」
「……い、いやあ、あのさ」
「ん? 何ぃ~?」
「な、なんつーか、俺が言うべき事じゃないのかもしれないけど……あえて厳しく言わせて頂くからな」
「?」
ロジャーの視線が、今しがた回収した小銭から緒川の方へと移った。不思議そうな視線を受けながら、緒川が戒めの解かれた片手で頬を掻いた。
「……もう少し、慎重になった方がいいんじゃねえの。何か今のお前は冷静さを見失ってるっつーか――手段を選ばなさすぎってるんじゃないのかなって。いや俺もそりゃアホみたいに暴れてたしさ、やりすぎとか何だとか言いたいわけじゃないけど……」
「えー。そんな事ないよぉ、大丈夫大丈夫~。相手はさー、カタギじゃないんだよー。いつものように極道ってわけじゃないけどね。このくらい冷酷にいかなきゃ出し抜かれるのはこっちの方だって事実、君はよく分かってる筈じゃあ?」
「――それはそうなんだけど」
そう言われたら身も蓋もなくて、今まで自分がしてきた事も同時に全否定してしまうような気もするんだが。
「それに僕が本気出したら世界制服も狙える事くらい知ってるでしょ、緒川くん」
「けどさ、あんまし過信すんのも良くねえだろ……いつ使えなくなるとか、リスクとか、通用しないっていう可能性だって、頭の隅に置いとく必要はあるんじゃねえの?」
ああ。ソレはまあ、ほんとうに何気なく吐いた言葉だったが、緒川は声に出してから初めて、ここに至るまでそれをずっと指摘しなかった事を知った。いやはや、さっきから何だかそういう事が多い気がした。あ、今気づいた、今更かよ、みたいな。――別にどっちが悪いとかじゃないけど、何故かあらゆる有象無象に対して強烈な申し訳なさを覚えてしまう。
何故だか、そう遠くはない過去の……上原と明歩の関係を思い浮かべていた。俺がもう少し早く気付いてたら、と、思わなくもないような事だらけだったからだ。そうすれば、二人がこんな風に姿を消す事だって――何も言えなくなり自然と沈黙していると、もしかしたらロジャーを睨んでいるようだったかもしれない。多少、責めているように受け取られたのかもしれなかった。ロジャーはその言葉を受けて、ややムっとしたような表情を浮かべた。しかし同時にこれは少し珍しいかも、と緒川は思った。あまり感情の変化を悟らせない彼の、素直なありのままの表情のように見えたからだ。
「ああ、そうだね。……確かに君の言う通りだな、過去に一人だけそういう相手はいたよ。けど、もうそんな事にはならない筈だ。もうあの頃の僕とは違う――」
そこまで話してから、ロジャーは珍しく言い淀んだような調子になり、それから先の言葉を飲み込むようにしてあちらの方向へと視線を逸らしてしまった。
「……っと。まぁまぁ、君の言いたい事も分かるさ! 確かにその通りだよね、もしかしたらそういう相手だっているのかもしれないし」
「なあ、ロジャー。道端んとこのオッサンと会ってからさ……お前の様子が、何か変な気がすんだけど」
「…………」
「――あの時に、お前が言った名前。……ヴィトー、だっけか。そいつが関係してんだろう?」
核心をつくであろう言葉を告げると、ロジャーははっきりと反応した。眉根を微かに持ち上げて、ほんの僅かの間だが沈黙した。怖い野郎どもには慣れ切ってしまい恐怖心的なものが麻痺しつつある緒川も、急に殺気立ったその気配に底冷えするようなものを覚えてしまう。やや怯んでしまったものの、いやいや。ここで引き下がってなるものかと緒川はロジャーをまっすぐに見据えた。