#9-1 / The Long Bad Night
「いやー、いい眺めだねえ~、緒川くんっ! 癒されるねえ、っと。……おっ、あの今サーフボード持って行った子の尻の形が非常にタイプだなあー!」
「…………」
「ちょっと地味そうなのに脱いだらこう、出るところ出たスタイル抜群なのっていいよねぇ。僕は細い子よりも多少肉がある方が好みなんだけども~……うーん、どっちかと言えば色白な子が好きだけど、少し焼けたサーフガールってのも中々捨てがたいっ! ねッ!」
と、横で呑気な声を上げているのはいつもの調子全開、自重する事を知らない相棒ことロジャーである。
相棒、とか言って、何かもうすっかり自分でも彼の事を認めつつあるんだな……と感慨深くなりつつ緒川は砂浜でこちらの事等気も付かずにキャッキャしている水着姿の女の子達を見つめた。別に照れているからとかではなく、何となく感傷に浸りたくなってしまい、ついつい目を細める。
もう冬の気配も遠くない、そんな頃合いにも関わらず秋の人工砂浜はサーファー達で賑わっているようである――某所、海浜公園。台風が去った後の海は比較的穏やかで、ささやかな波の音に混ざり、はしゃぎまわるサーファー達の賑やかしい声がこだまする午後の夕暮れ……と、陽も傾きかけた海面を見つめてつい詩的めいた気持ちにもなる。……が。
「あっ。もしかして緒川君ってば! これも刺激が強すぎたりするわけー?」
「……いやお前、この状況すげーおかしくないか。何か俺達、漫画みたいに縛られてっし」
すかさずロジャーの声が何故かそんな自分を瞬く間に今へと引き戻してしまう。それで、口に出して何でこうなったんだっけ、と考え込む自分がいた。――そう、そうなのだ。いわゆる危機的状況、ピンチに近い……のかもしれないが、これはどうしたものだろうか。
緒川は今しがた言葉にしたよう、拘束された自分の姿を想像して自然と口元が苦笑に近い形に歪んだ。
「オッラ、余所見すんじゃねっぞテメぇら! これから貴様らまとめて処刑してやっからな~!? えぇ、おいぃんっ!」
手前にいたやたらと声のでかい、複雑な坊主頭の男が、耳元で叫び散らしたのが不快で仕方なかった。ちなみに何がどう複雑か、というと、いくつか剃り込みが入っているのだが、一際目を惹くのが後頭部に『祭』と漢字で入っている部分である。……果たしてそれはオシャレなのだろうか、緒川にはよく理解できないのだが――まー、とりあえず目を惹きつけるのには違いない。
それでそのお祭り男に同調するよう、周りの男共(服装や髪型なんかはイキっているが、顔つきはまだちょっとあどけない。同い年、もしくは少し上くらいだろうと推測された)もやんややんやと大騒ぎを始めた。
(うーん。荒れた成人式の様子を毎年ニュースで見るが、それを思い出すな……)
と、しみじみと緒川が考え込んでから、ポツリと目の前の男どもに呟いた。目の前にいるのは、全部で五人。うん楽勝。全然余裕。
「……や、それはいいんだけど。なんつーか、こんなとこでやるのもめっちゃ人目につかねえか? これ。ていうか現にチラチラ見られてるし。恥ずかしいんだけど、この絵面……」
「わぁ、処刑って何だろ~。僕ら二人で島流しかなー? こわーい」
話しながら緒川は、自分が何故こういう状況にいるのかを一気に回想していた。そうそう。そうだ……それは遡る事、およそ小一時間ほど前の話――。
いつも通り、授業を終えた帰り道――え、意外だって? 俺は別に不良だとかヤンキーだとかではないし、普段はきちんと学校に通ってるってんだよ。むしろ不真面目なのは出席日数ちょろまかしたりしてるロジャーの方なんだぞ――いつものように、上原や明歩の事が何でもいいから分からないものかとそういう事を考えながら足を進めていた。
それにしても、上原と明歩とは会っていない期間がそう長いわけでもないのに、彼らの顔がとても懐かしく思えた。一刻も早く、そうだ、どんな些細な事でもいい。切っ掛けや足がかりになる情報を得られたらいいのだが。
(俺がもう少し上手く明歩や上原の情報を伝えられたらいいんだが――、というか声をかけると話し込む前に逃げられるのがしょっちゅうだし……)
まあ、それはしょうがない話なのだ。元よりとにかく目つきが悪いので、他の人を怖がらせてしまう事はよくあった。ビビらせるつもりなんて勿論ないのだけれど、話しかけただけで謝られて逃げられるなんて事もそういえばあった。
(うーむ、こればっかりは顔立ちとか持って生まれた雰囲気の問題だからどうしようもないんだが……極力優しそうというか爽やかな感じを出したいよな……それこそ上原みたいなあのキラキラしたオーラを出せたら最高なんだけど……)
まあそれはないものねだりなんだろう、とは分かりきっていた話なのだがあの顔立ちは反則だよなあ――と改めて実感した。それから、何気なく近くに停車してあった黒塗りのフルスモーク車のパワーウインドウに向かい、緒川は上原がよくやっていた無意識キラースマイルの真似をしてみる。
あいつってどういう笑い方するんだっけか、確かこういう感じだったよな?
「どうも、上原千秋です。……あれ? こんなんだっけ。いや、あいつ敬語使えなかったし、何かもっと……、こほん。上原だけどー……ん? 違うか。流石にここまでくだけてはいな……」
窓に映った引きつった自分の顔を眺めているうちに、ウィーン、とそのウインドウが開かれていきすぐ傍に見知らぬ男の顔が入れ替わるように現れた。いや、車に乗っていた人物なのだろうが、はい。ばっちりと目が合って、何とも言えない気まずい時間が流れた。
どうすればいいのかよく分からなくなり、緒川は混乱と恥ずかしさの末にとりあえず言葉を吐いた。
「……、エッ、見てたの?」
思わず顔があっかーくなるのを無視して、そのえらいパンクな風貌の兄ちゃんはくちゃくちゃとガムを噛みながらこちらを見つめた。おい、ここまで来たならいっそ笑い飛ばすとか罵るとかしてくれよ。と、思った。
「緒川駿平、ってテメエの事だよな」
その願いは無視され、パンク兄ちゃんは薄笑いだけを浮かべて(が、目が笑っていない)緒川の方を値踏みするかのようにまずはじっと見つめた。顔から入り、つま先までをじっと観察するかのような嫌な目つきだった。――それで、緒川はと言うと名前を呼ばれ、ふと動きが止まった。
この風も冷たい頃合いにタンクトップ、肩口から腕にかけては龍が飛び出し短く刈り込んだ真っ赤な髪の毛。もういかにも、な、その兄ちゃんは刺青を誇示するように腕を窓枠に乗せた。
「噂には聞いてるぜ、相当強いって話じゃねえかお前。道端組の事務所に殴り込んだってのも、仲間内から流れてきた」
ああ。そういう話かよ。
緒川は途端に男への関心を失くした。そういう話なら大方結末は予想がつく、だから今日はそのお礼参りに来た。今から指定の場所へ来い、とか何とかそういう呼び出しだろうけれど。緒川が無視して先に行こうかと思った矢先に、パンク男が言葉をぶつけるように続けた。
「半殺しにしてやっから二駅先の海浜公園の方に来いよ。駅降りたらすぐ分かる場所にいるからよぉ。……まあ今逃げたって、また見つけ出して最終的にゃあ力づくでテメーの事車にでも押し込んでやんよ」
「……」
返事するのも億劫な気分で無言でいると、男はそれをこちらがびびっている、とか、後悔している。とか、そういう風に解釈したようだった。調子づいたように笑いと共に更に言葉を繋げた。
「――何だよ、そのシケたツラは。文句があるのか? まあ、結論から言うとな、道端さんの知り合いに貴様の始末を依頼されたのさ。高校生如きに出し抜れたまんまじゃあ組のメンツが丸潰れだってな。……お前がブっ飛ばした相手ってのは、そういう相手だったのさ。分かってんだよなぁ、ヤクザ敵に回すっつうのはそういう意味だっつうこった」
「……はっ。誰が行くかよ、このクソチンピラども。……生憎だけど俺は今日、機嫌が悪いんだ。暇なら別の人にしてくんねぇかな」
「詫び入れるつもりもねえのか?」
詫び? 意味が分からなかった。そんな表情で振り返ると、男が仰々しく肩を竦めていた。その目に何かがよぎったように見えた。
「あー、そうかい。……だったらこれでも無理か? お前の『大事な仲間』を預かってる、とでも言えば、お前はどうするつもりだ?」
「……っ!」
上原と明歩の顔が交互にちらついた。
まさか――、そう思うのと同時に振り返ったが、パンク男はにやにやと笑っているだけではっきりと答えをくれそうにはない。手が出そうになるのを押しとどめた。もし二人のうちのどちらかが拉致されているのであれば下手な事は出来ないからだ。やはり、実力行使は避けられないという事だろうか。……そして次の瞬間には、笑顔を消した男がもう一度同じ言葉を吐いた。
「来いよ、緒川。どっちが正しいのかはそこでキッチリ決めればいい。だろ?」
「……、クソが……。もし、何かしやがったら許さねえからな」
忌々しそうに吐き捨てると、男は笑いながらパワーウインドウを閉めた。ありったけの怒りを込めたような目つきで男を睨み返せば、車はもうここには用済みだとばかりに発進していった。それをひとまず見送り、緒川は男が残した言葉通りその道を辿った。ひたすら、二人の無事を祈った。――果たしてこの戦いに終止符は打つ事は出来るのだろうか? いやいやそれよりも、二人は何事もなく、いてくれるのだろうか? 無数の疑問と不安と、とにかくあらゆる感情が浮かんでは消えた。焦燥感と共にモノレールを飛び下り、緒川は人ごみを駆け抜け改札を通り抜けた。
先程のフルスモークと、それから何やら派手な団体を見つけてすぐに分かった。あれだ。間違えようもない。
「上原! 明歩……っ!!」
「緒川くーーーん! おーがーわくーーーーんっ!!」
そう。そうである。勘のいいあなたならもう既に予想はついていそうなものだが――、そこにいたのはロジャーである。何かベタなドラマよろしくロープでぐるぐるに巻かれた彼の姿はひどく滑稽で中々愉快ではあったが、緒川はチーンと静止してしまったのだった。
「怖いお兄さんに縛られたぁあ~。僕こういう趣味はないんだけどぉお~!? 野蛮な男は嫌いなんだよー、せめて野蛮な女にしてくれよぉ!!」
「……ごめん、やっぱり帰ってもいい?」
「駄目に決まってんだろうがオラ、ボケ。こっち来いよ」
大騒ぎするロジャーの姿はどこまでが本音かよくわからないが、ともかくまあ無視するわけにもいかないので緒川は彼の元へと近づいた。呆れた表情でため息とともに言葉を押し出す。
「いや、いや。いやいやいやいや。何遊んでんだよ、お前は」
「遊んでないもん! 僕にこんな汚らしい顔した友達がいるわけないじゃんか!?」
前々から思ってたんだけど、こいつ結構毒吐くんだよな。英国紳士とあろうものが。
「緒川君、ちょっとちょっと耳貸して、耳。噛まないから」
「当たり前だろ。何?」
「僕、今コレわざと捕まってるのね。分かる? わ・ざ・と!」
「……やっぱテメエの趣味か、この野郎。変態!」
「違う違う。ちょっとね、僕の名前も売っておきたくなっちゃってさ。うん、必要があるんだ。少しね。どうしても会いたい奴がいるんでね。そいつに近づく為に、色々と工作しとかなきゃなあって」
「工作って……」
それを聞いて、あ、と緒川は思い出した。そう、あの時、道端組にカチコミをかけた時のロジャーの最後の言葉。
『ヴィトーだ。ヴィトーを雇え』
――……
組長の胸倉を掴み、言い放った時のあの表情と冷たい声質。日頃の彼のにこやかなイメージとは正反対の、人を突き刺すかのような鋭さがあった。それは緒川とて例外ではなく、もし自分があそこで無責任に話に入ろうとしたり、何か聞いたりしたら、あのままロジャーに何らかの形で殺されたんではないかとちょっと怖かったくらいだ。
そうだ。それで。それで何となく、だけど。
あの日以来、ロジャーは時々だけど妙にイライラしていたり、焦っていたり、前のような冷静さをなくすような時が多くなった。彼が発した『ヴィトー』という人物が何かそうさせているのであろう事は分かったのだが詳細までは分からなかった。